#29 OTOGIKI LAB. 第14話「音のある世界と、音のない世界。実はどっちも面白い!」※ポッドキャスト文字起こし
川田:「ABCラジオPodcast OTOGIKI LAB.」音の実験室へようこそ。川田一輝です。皆さん知ってますか? 野球で審判が出すアウト、セーフのハンドサインって実は、 耳が聞こえないメジャーリーガーが現れたことによって、その人がちゃんとその指示を見られるように始まったそうです。ただ、これが耳が聞こえない人だけではなくて、観客も試合の進行を見やすくなった。エンターテイメントとして野球がもっともっと盛り上がるきっかけになったとも言われているんです。このことを教えてくださった方、今回の素敵なゲストにこの後、登場していただきます。
それでは「OTOGIKI LAB.」実験スタートです。さっそくゲストの方をご紹介しましょう。NPO法人サイレントボイス事務局長の井戸上勝一さんです。よろしくお願いします。
井戸上:よろしくお願いします。
川田:井戸上さんって初めてお会いする名字です。
井戸上:奈良に200人ぐらいしかいない名前らしくて。
川田:奈良ご出身ですか。井戸さんとかいますけどね。お年おいくつですか?
井戸上:今年で29になります。
川田:96年生まれ? 若いですね。ちょっと長髪で、すごいフレッシュな感じもするんですけど。日焼けもされてて、そこら辺の話も聞きたいんですが、まず簡単に自己紹介お願いしてもいいですか?
井戸上:はい。改めまして、NPO法人サイレントポイスの井戸上と申します。普段は大阪の谷町六丁目に拠点を構えて、聞こえない子供の教育事業をやっていたりします。聞こえない方の働く職場に対して、聞こえる人と聞こえない人がともに働きやすい環境ってどうやったら作れるんだっけっていう研修事業をやったりというのがNPO法人サイレンボイスの活動です。株式会社の方では、逆に聞こえない人の周囲にいる聞こえる人たちの認識を変えるような取り組みっていうところで、声を使えないホテルのコンセプトを考えるお仕事したりとか、声を使わないボードゲームを作ったりだとか、こう見たりとか、体を動かすっていうことの面白さとかを、いろんなツールを使いながら世の中に伝えるような活動とかをしています。
川田:サイレントボイスはNPO法人としても活動されてるし、株式会社としても活動されている。その声とか耳とかに向き合ってこられたというのがよくわかるんですけど、その話を聞く前に、まず井戸上さんがどんな人か聞きたいんです。ちょっと日焼けもされてるんですけど、スポーツお好きなんですか?
井戸上:はい。小学校一年生からもう大学までずっと野球をやってました。
川田:野球をされてたんですね。プロフィールを拝見してたら、ガチで本気で結構すごいチームでされてたんですね。
川田:高校は別に強い学校に通ってたわけではなく公立高校に行ってたんですけど、中学時代に入ってたクラブチームがすごく強くて。同級生に巨人で四番を打ってる岡本君がいたり、先輩にもプロ野球選手が何人かいたりとか。
川田:へー! そこで、ポジションは?
井戸上:八番ライト。「ライパチ」ってやつですね。ギリギリ試合に出させてもらってたサブキャラでした(笑)
川田:謙虚な方っていうのはわかりました! 野球をずっとされてて、どんな少年時代からこうなったかっていうのをちょっと聞いてもいいですか。
井戸上:耳の聞こえないとか聞こえにくい人たちに関わる取り組みに携わる大きなきっかけになったのは、僕の両親が2人とも聴覚障害のある当事者だったということがすごく大きいです。父親に関しては視覚障害もあるので、そういう方々は盲とろう、合わせて盲ろうって言うんですけども、母親はろうで、父親は盲ろうなんです。それぞれコミュニケーション方法が違うんです、家庭の中で。
川田:手話も見えないってことですよね。そこの家庭で生まれて、僕たちとはなんかちょっと違う幼少期だったと思うんですよね。コミュニケーションとかだって、パパママって呼んでも振り向いてもらえないってことですよね。
井戸上:はい、そうですね。僕も母親の話を聞くと、ちっちゃい頃の一番最初に喋った言葉なんだったみたいな話をした時に、他の聞こえるご家庭だと「パパ」とか「ママ」とか。分かりやすい単語だと思うんですけど、僕の場合、「喉を触って喉が渇いたっていうことをジェスチャーした。これがあなたが最初に私に発した言葉だよ」っていうことを母親が言っていて。
川田:そっか! もうジェスチャーも言葉なんだ。
井戸上:ちっちゃい頃のホームビデオとか見返していると、その当時やっぱ手話とかもまだ日本語も全然わからなかった時でも、なんとか両親に伝えようとして体を目いっぱい動かしている自分が映像に映っていて、わからないなりにもどうやったら相手に伝わるんだろうっていうことを、ちっちゃい頃から多分自然と考えるような境遇で生きていたのかなっていうのは思いますね。
川田:なるほど。もう「言葉」っていうのも伝える一つの手段っていうことなんですね。
井戸上:そうですね。
川田:ジェスチャーとかで伝えても、お父さんはそういった喉を触るのもちょっとわからないですよね?
井戸上:そうですね。父親の視覚障害自体はかなり後天的にどんどんと視野が狭くなってきたりしたっていう部分もあるんですけど、今コミュニケーションするときは、手話は見る言語ですけど、触手話は触る言語なので、手話を手で触って手の形で理解をするんです。
川田:イメージで言ったら、握手に近いような形でコミュニケーションする?
井戸上:おっしゃる通りですね。なので、僕の中ではかなり触れるコミュニケーションの面白さっていうのも体の中には残っていて、例えば父親と一緒に外歩くときに、特に暗い場所だとほとんど見えなくなるので、僕の肩を持って一緒に歩くんですけど、肩を持ってるだけなんですけど、そこにすごいいろんなコミュニケーションが含まれていて、例えば手がすごく強く押されたりすると、「あ、今なんか急いでるんだな、焦ってるんだな」みたいな感覚がそこから伝わってきたりとか。あとは手がちょっと重くなってきたりすると、「あ、なんか疲れてて眠たいんだろうな」とか。何か表出して言葉に出したり、声に出したりしてはいないけども、触れるところからすごいいろんな隠せない言葉みたいなのがすごくたくさん伝わってくるっていうのも触手話の面白いところです。
川田:ただ触るとかだけじゃなくて、そこには情報がいっぱい詰まってる。確かにね、この子好きやなって女の子ずっと観察して、今どういう思いなんやろうなって考えることがありますけど、 やっぱ触れ合ったらわかるんですね。
井戸上:そうですね。だから小学生の頃とかに、社交ダンスみたいな授業があった時に、ちょっと隣の女の子の手を触った瞬間にすごいドキッとするというか、いろんな情報がそこから伝わってきてしまうし、伝わってしまう。
川田:だからドキドキするんだ、バレちゃうみたいな気もあって。面白い!
そもそものコミュニケーションっていうと僕らはついつい視覚優位で見てしまったりとか、言葉でこうやってお話しするけども、いろんな方法でコミュニケーションを取れるっていうのが、もう小さい頃から身についてるんですね。
井戸上:そうですね。何か意図したわけでもなかったんですけども、両親とともに過ごしている中で、家族の中で何かを共有しようと思うと、そういうものが自然と溢れ出てたかもしれないです。
川田:今こうやってお話をしてて。その言葉ってどなたに教わったわけなんですか?
井戸上:僕の 家が6人家族でおじいちゃん、おばあちゃんが聞こえてました。姉も聞こえてました。父と母だけが聞こえなかったので、おじいちゃん、おばあちゃん、姉から日本語を教わり、父と母からは手話、身体言語を教わる。家の中で50%ずつくらい手話と日本語っていう言語が共存しているような境遇で幼少期を過ごしてました。
川田:きっとね、大変だったこともいっぱいあると思いますけど、そう伺うとすごい。なんていうか、贅沢な環境というか。
井戸上:おっしゃる通りですね。
川田:いろんなコミュニケーションを学んだ。そこから野球を始めて。結構名門のクラブチームでやるぐらい打ち込むんですよね。僕の勝手なイメージだと、少年野球って親がめちゃくちゃサポートしなきゃいけない。お弁当を持っていったり、応援行ったりとか。そういうのも結構、ご家族のハードルあったんじゃないかなって。
井戸上:そうですね。そこが一番しんどかったというか。あの見ててグッとくるところが多くありましたね。
お茶当番とか、僕の小学生の頃とか、まだまだ残っていたので。母親、父親が来た時に、やっぱり周りの人とコミュニケーションが取れない様子があったりだとか。一番印象に残ってるのは、父親だけがずっと野球の練習にも試合にも来てくれなかったんですよ。あの小学校1、2年、3年生ぐらいまで。
川田:嫌いなんですか?
井戸上:野球嫌いなんかなと思ってたんですけど、ある瞬間から来始めたんですよね。そのきっかけが、僕の仲良かった友達のお父さんがすっごいいかつい、背中に竜の刺青とか入れてるような、そんな人やったんですけど。
川田:アハハ、ちょっと今日のゲストには呼べない(笑)
井戸上:ちょっとダークな感じの見た目なんですけど、そのお父さんが僕の父親とお話をしてみたいっていう理由で手話の本を買って、指文字を覚えて、自己紹介して、なんとか自分のことを伝えられるように準備してくれた。急にそういうシーンが出てきた時に、父親が後ではっきりと話してたんですけど、今までずっと高校までろう学校に通ってたし、社会人になっても障害者雇用の中でろうの人たちに囲まれて過ごしてきた。あるいはその文化、国の中で過ごしてきた中で、 聞こえる人のことをどこか外国人やと思ってた。それぐらい距離の遠い。
川田:国境があるぐらい。海の向こうみたいな感覚があるんですね。
井戸上:そうなんですよ。同じ人間でも言語が違うっていうことは、それぐらい他者と何かを共有するのが難しかった。その中で初めて手話で自分に語りかけてくれたその人の存在を見た時に、同じ人間なんだって初めて思えたっていう話を、高校生ぐらいになって父親からふと言われた時に、幼少期の頃、もちろん父親がそんなこと思ってるって考えもしなかったですけど、それぐらい壁でありハードルっていうものがそこには存在していたんだなって。
川田:息子が頑張ってる野球は応援したいけども、異文化すぎて、もうそこに行くのもちょっと怖いというか、馴染めない。でもその友達のお父さんの歩み寄りというかコミュニケーションで、心の扉
がバッと「開国」したんですね。
井戸上:そうですね。だから、その一連のシーン見た時に、やっぱり人は見た目じゃないなっていうことを身に染みて思いましたね(笑)
川田:コミュニケーションは言葉だけじゃないし、人は見た目だけじゃない。いろんな学びが10代に詰まってたんですね。わあ、ちょっとグッとくるな。で、そこから今のお仕事のサイレントボイスにもきっとなんか繋がってる気がするんですよね。声のコミュニケーションができない方、耳が聞こえない方と。なんていうんですか。健常者と言っていいんですか、こういうのって。
井戸上:僕たちの会社の中では、ろう難聴者と聴者っていう言い方をします。
川田:失礼しました。その聴者の人との国境をなくすみたいなお仕事なのかなと思ったんですよ。やっぱ繋がってるんですか、その体験は?
井戸上:すごく繋がってますね。こういう仕事に就こうと思ったきっかけなんですけど、僕、本当に大学生になるぐらいまでは、両親が聞こえないっていうことは認知していたものの、他の家庭と何が違うのかっていうことが、あまり実感してなかったんですよね。同じ聞こえない親の元で過ごした、「CODA」の友達がそんなにいたわけでもないですし。聞こえる家庭の話を聞いても、どこか自分の家庭の中ではこれが当たり前なんだみたいな感覚がすごいあったので、比較しようにも比較できなかったところがあって。だから当たり前の中にいたので、聞こえない人のために何かをしようとか、そういう動機とかもほとんどその当時はなかったんですけど、ちょっと20歳の時に母親が末期癌になるっていうきっかけがありまして。 その時に「なんで母親がその末期になるまでその病気のことを言わなかったんだろう?」みたいなことをいろいろ考えたり、話を聞いたり。
川田:ステージ1から4まである中で、途中で気づいてても言えなかった、言わなかった理由?
井戸上:そうですね。実際、その症状自体はすごくわかりやすく出てたみたいなんですけど、家族にもなかなか言わなかった理由が何なのかなって話を聞いていると、やはり相談するっていうことが、母親の体験の中でどういうことなのかっていうのがあまりわからなかったっていう話をしてたんですよ。どんな時に相談ってするものなんだろうって。その感覚は僕も全然わからなかったんですけど、母親の幼少期の頃の話を聞いていると。 やっぱり母親のお父さん、お母さん、お姉ちゃん、みんな聞こえる家庭で過ごしている中で、当時はそれこそもうITとかでテクノロジーとかも全然ない時代なので、テレビにも字幕ついていないですし、家族で話されている音声の会話に、母親だけがずっと入れていない。ご飯食べている時ですら、食卓の会話を母親だけがわからない状態でいるみたいな。その状況の中で、母親はずっと少女漫画を読んで楽しんでたようで「その結果、日本語が得意になったけどね」みたいなことをハハハとかって言うんですけど。ただ、その空間の中で自分のことをわかってくれる人って、家族の中にもいないのかもなっていう感覚が、もしかしたら母親の中にはあったのかもしれないし、相談してもきっとわかってもらえないんじゃないかっていう、そういう想像とかも母親の中にはあったんじゃないかな、っていうふうに思って。
川田:隔たりを結構小さい時から感じてたんですね。
井戸上:母親が病気になった時も、自分の中で抱え込むっていうことが良くも悪くも母親の強さになって出てしまっていて。
川田:自分で解決する?
井戸上:はい。そういう母親の状況を見た時に自分の 残りの人生の中で、母親が過ごしている期間の中でできることって何なんだろうみたいなことを初めて自分で問うタイミングがそこにあって、その時にちょうど大学の図書館をうろうろしてた時に、たまたま福祉のコーナーのところに「CODAの世界」っていう本を見つけて。
川田:コーダ? どんな字を書くんですか?
井戸上:「Children Of Deaf Adult」の頭文字からCODA。耳の聞こえない両親から生まれた、聞こえる子供をCODAとアメリカでは総称されていて、僕は図書館のその本を見つけて初めてその言葉を知ったんですよ。読んでると、この日本の中にも2万人ぐらいいると書いていて、「CODAあるある」みたいなのがたくさん載っていて。例えば、幼少期の頃に親戚が集まる会に行くと必ず通訳をするとか、電話担当は基本的に自分の仕事だみたいなこととか、自分の体験と重なるようなことがすごくそこには書いてあって、自分の取扱説明書みたいなのがここにあるぞっていう。この本を読んでいた時に、もしかしたら何か聞こえない両親の文化と自分自身の聞こえる文化、この間でずっと過ごしてきたっていうことが、 何か社会の役に立つのかもしれないなとか、なんかそこに関わってみるっていうことがすごく面白そうだなっていうことを、初めてこう思えたタイミングが20歳ぐらいの時でした。
川田:それまでは周りの家庭との違いがわかんないとおっしゃってましたけど、自分の経験っていうのは他とは違うし、これを社会の福祉に変えることができると思ったんですね。それで今のお仕事をスタートされた?
井戸上:そこからまたちょっと何段階かステップがあったんですけど、その後も大学卒業してすぐに入った会社は、今のサイレントボイスではなくて。当時福祉とかのいろんな事業を全国で展開していた会社に入りました。聴覚障害領域の取り組みを何かしたいなと思って最初は入ったんですけど、実際、西日本の障害のある子どもたちが通う福祉施設とかを回るお仕事を最初させていただいた時に、中には契約者として30人子供がいる中で、一人だけ聞こえない子供がいるような施設とかも、僕がいる大阪の中でも結構な数ありまして。 で、そこでいる子どもたちが楽しそうに過ごしているのかなって思って、支援員の方の話を聞いていると、やっぱり他の子どもたちの輪にはなかなか入れていないですねっていう話があったりとか。
川田:お母さんが小さい時に家庭で感じてた寂しさを感じているってことですか?
井戸上:そうですね。そういった重なりみたいなものも、そこで出会う子どもたちから感じることは実際ありましたし、何よりも支援員の方がその聞こえない子供のことを何もわかってあげられなくて、私もどうしたらいいか困ってるっていう話があった時に、やっぱり社会の中にいろんな福祉資源というか社会資源がどんどん広がっているにもかかわらず、聞こえない、聞こえにくい子供の社会資源というのがなかなか足りていないんだなということを、実際に世の中の福祉のフィールドをいろいろ見ていく中で初めて知ったっていうことがきっかけで。 たまたま営業先に今のサイレントボイスという法人があり、ちょうど立ち上がった2年目ぐらいのタイミングでしたかね。
川田:それでジョインしようと?
井戸上:そうですね。サイレンボイスの代表も僕と同じ境遇で、両親2人ともろう者のCODA。初めてCODAの人と出会ったのが、今のうちの法人の代表なんです。
川田:それも嬉しかったですか?
井戸上:嬉しかった以上に驚いたというか、すごくなんだろうな、なんかしびれるような感覚と言いますか。ああ、こういう経験が生きている中であるんだみたいな。
川田:この境遇はもう自分だけだと思ってた?
井戸上:他者と何か共有できるものでもないのかなっていう感覚はずっとあったので、そこを共有できた時に初めて自分の経験が還元されるフィールドっていうのがもう少し別のところに、もっとコアなところにあるんじゃないのかなって。
川田:確かに聴覚、耳が聞こえない方のケアももちろんだけど、耳が聞こえる方にもそういった想像力を持ってもらうような試みをされてるってお話しされたじゃないですか。それは最初はちょっとピンと来てなかったですけど、今、その意味がすごくわかりました。他人、他の国ぐらい感じるような隔たりを感じた人たちに橋をかけるっていうお仕事されているってことですね。
井戸上:そうですね。事業としてはそういう受け取り方をしていただくことも多いんですけど、私自身の感覚というか関心としては、やはり幼少期の頃から、やっぱり両親と共に過ごす空間の中で、すごい面白かったんですよね、その世界が。だから今、福祉の事業とかもNPOではやってるんですけど、聞こえない人たちを助けてあげようとか支援してあげようとか、そういう気持ちでやってるというよりかは、やっぱり音のない世界で生きている人だから見ている世界があるし、それがやっぱり尊重されるべきだし、そこにしかない面白さがあるっていうこと。幼少期の体験の中で自分の中にもそれが残っているので、それをより多くの人にどういうふうに伝えたら共有できるのかなっていう気持ちで株式会社の取り組み自体はやっている部分が大きいですね。
川田:面白い。音のない世界の魅力。価値。 ちょっとこれ、次回伺ってもいいですか? いや、気になる。この時間はNPO法人サイレントボイス事務局長の井戸上勝一さんにお話を伺いました。次回もぜひよろしくお願いします。
井戸上:よろしくお願いします。
川田:川田一輝がお送りしてきた「OTOGIKI LAB.」第14回、いかがだったでしょうか。これ正直ね、想定の時間オーバーしてます。けど、まだ第1回、次回も続きます。こういう体験されている方って、「自分自身が特別な体験をしている。他の人と違う」ってことが、意外とわからないんだなって思ったんです。これすごくいい意味で、僕自身も自分の中で見えない自分とか、そういうふうに思ってたんだみたいな、思い返すことがたくさんありました。 次回はさらに深掘りをしていきたいと思います。もう必ず僕断言します。次回も合わせて聞くことで、あなたの世界が2倍、3倍広がります。そして、あなたが今悩んでいることの解決策のヒントもきっと見えてくると思います。ということで、次回もお楽しみに。
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