OTOGIKI LAB. #04「フェスおじさん??登場!!」

川田:そっか。本当にいろんなことを伺いたいなと思って、多分まず「フェスおじさん」とはのことから聞かせてください(笑)

いい名前だなと思って(笑)

ちょっと僕のオープニングがあるんですけど、そこはもうぬるっと聞き流していただきつつ(笑)

菊池:はい。しっかり聞かせていただきました。恥ずかしい(笑)


「ABCラジオPodcast OTOGIKI LAB.」へようこそ。

突然ですが、あなたは音楽は好きですか?どんな音楽が好きでしょうか。ロックが好きという方は、先日マルーン5が来日してましたね。The 1975Imagine DragonsPhoenixなんかが僕は大好きです。

K-POPやヒップホップ、ジャズや演歌、はたまた落語なんかもいいですよね。

この番組「OTOGIKI LAB.」は、そんな音楽が好きなあなたと、より音を楽しむための実験を行います・

申し遅れましたが、私音聞-OTOGIKI-ナビゲーターの川田一輝です。

僕が、「音楽にはまったきっかけ」ってよく聞くんですけど、自分が音楽にはまったのはいつだろう。どのアーティストなんだろうと改めて考えたんですよ。

最初に買ったCDって何だったのかな。思い返すと、親に買ってもらった初めてのCDは、当時ポケットモンスターが流行っていたので、「めざせポケモンマスター」っていうあの8cmのCD、あれを買ってもらったのが最初でした。

で、自分のお小遣いで初めて買ったCDはポルノグラフティーのベストアルバムだったんですよ。

当時2種類出てて、「青リンゴバージョン」と「赤リンゴバージョン」があるっていうベストアルバムをすごく迷って、けど、自分が見ているアニメのオープニングがいっぱい入っているから、こちらにしようと思って「青リンゴバージョン」を選んだのを覚えてます。GTOで出てた「1人の夜」とか。鋼の錬金術師で流れてた「メリッサ」とか。他には「アポロ」「サボテン」「アギハチョウ」なんかが入った、本当に夢のような1枚でした。

けど、それを買ってからね、実際にはまったのは、それらの曲じゃなくて、全く知らなかったアルバムソングの「ラビュー・ラビュー」という曲だったんですよ。これを調べたらポルノの一作目のインディーズ時代のオリジナルアルバムのアルバムソングで、本当に穏やかな陽だまりの中。まだ「好き」って言葉も伝えられてないかもしれない、すごい初々しいカップルのデートを描写した優しいかわいい曲で、こんないい曲を学校で自分だけが知ってるっていう、ちょっと優越感にも浸ってました。

そこからタワレコに行ったり、友達のお兄ちゃんにおすすめの音楽を教えてもらったりして、音楽の沼にズブズブと浸っていきました。

音楽ってね、街で流れてる音楽やSpotify、Apple Music、ラジオから流れる音楽も最高なんですけど、自分の手で探っていったり、自分の足でライブやフェスに行って聴いた音楽っていうのは、そこに思い出も乗っかってね、一生忘れられない、なんかタイムカプセルみたいなものになるんじゃないかなと思ってます。

そんな音楽の原体験から、今日はライブ、特にフェスについてお話を伺っていこうと思います。

音の作り方やアーティストの方を招いて生演奏を届けたりと、いろんな音の多様性について皆さんと一緒に考えていきましょう。

それでは、「OTOGIKI LAB.」実験スタートです。


川田:さあ、今日もこの時間、ゲストの方をお迎えしています。日本ミュージックフェスティバル協会会長の菊地 崇さんにお越しいただきました。こんにちは。よろしくお願いいたします

菊池:こんにちは。こちらこそよろしくお願いいたします

川田:菊池さんは「フェスおじさん」として有名だという風に伺いました(笑)

菊池:有名というか、そう呼ばれることが多いですけど、有名かどうかはちょっと「?」ですね

川田:「フェスおじさん」っていうのは一体何なんですか?

菊池:「よくフェスで見かけるおじさん」って言われはじめて、それであの…実は「おじさん図鑑」というイラスト集があったんですね。そこにおじさんの…いっぱいイラストがあったんですよ。種類がね、そのおじさんというのが本当に飲み屋さんで飲んでいるおじさんとか、競馬場にいるようなおじさんとか、いわゆる本当に昭和のおじさんの図鑑だったんですけど、そこに僕らしい人が、フェスでよく見かけるおじさんというので、載っていて(笑)

川田:自分じゃないか!と。菊池さんが(笑)

菊池:(笑) それでそこから「『フェスおじさん』じゃん!やっぱり!」みたいなことが周りで言われて、そこからですね

川田:なるほど。「あれが噂のフェスおじさん」だと、菊池さん。そもそもそのフェスでよく見かけられていたというのは、フェスによく遊びに行ってたんですか?

菊池:あの僕、本職というか仕事が編集とライターなんですね。

川田:あ、雑誌の編集

菊池:それで、ずっとフェスを追いかけてたというか、その取材と趣味と遊びとをすべてひっくるめてよくフェスに行っていて、それでよく見かけられるようになったんだと思いますけど

川田:そっか仕事で行っていて、でも年に何本ぐらいライブとかフェス行ってたんですか?

菊池:その当時、今もそんなに変わらない…。あ、ライブは今ちょっと少なくなったんですけれども、フェスは20本ぐらいで、ライブがその当時多分百本ぐらいは

川田:そんなに!1月で10本以上ライブやフェスに行っているってことですよね。

菊池:そうですね

川田:かなりですね。へぇ~。そんな…ごめんなさい。今日、「フェスおじさんの菊池さん」と呼ばせてもらいますが、フェスおじさんの菊池さんの初めて、その音楽にはまったきっかけ、初めて買ったCDとかってあったりするんですか?

菊池:CDは覚えてないですけど、僕の時代はもうレコードなので

川田:そっか あぁ、そうだ、レコード。初めて買ったのって覚えてます?

菊池:たぶんね、フィンガー5かな、さっき言われて思い出したのが。フィンガー5の…。

川田:マイケル・ジャクソンがいたフィンガー5

菊池:違う(笑)じゃない、違う。(笑)

川田:あっちの日本版の、あ、そうかジャクソン5じゃなくて、フィンガー5だ!

菊池:沖縄の5人兄弟のユニットがあって、うーんなんだっけぇタイトイルを忘れちゃったなあ。多分最初に買ったやつなんですけど、ちっちゃな頃で、ちょっと音楽が、すごい好きでいたのはね、ザ・フォーク・クルセイダーズかな

川田:僕、すみません。世代じゃなくて、ちょっと勉強不足なんですが、フォークなんですか?

菊池:フォークですね。あの加藤和彦さんがいたユニットで、「オラは死んじまっただ(『帰って来たヨッパライ』の歌詞)」たという歌があったんですよ。それが子供心によく好きだったんですけれども、

川田:渋い感じですけどね

菊池:ちょうどまあ、なんかあんまりこんな話を言うと、自分史みたくなって嫌なんですけど、父親が亡くなった時で。それをなんか。そういうこともあって歌ってたらしくて、で、母親から「それだけは歌うな」ってよく怒られてて、怒られるとやりたくなるじゃないですか、子供って

川田:複雑なもんですよね

菊池:それで歌って、そのレコードを買ってくれとかっていうのを、せがんだっていう記憶はありますね

川田:へぇ~あ、じゃあ自分の色で強烈な体験と結びついてるんですね

菊池:うんうん。多分

川田:そこから音楽が好きな10代を過ごし…?

菊池:10代の頃は70年代なので、もう、イギリス、アメリカがロック全盛期だったので、もうそこから洋楽好きが始まったっていう感じですね。

川田:で、そこから雑誌の編集者として、それは音楽記事を書いていたんですか?

菊池:いや。今も「DEAL」って、フリーペーパーがあるんですけれども、基本的にはカルチャー系の雑誌に入ってたので、音楽だけってことはないんですけど、音楽が多かったっていうライターですね

川田:他にもアウトドアとか?

菊池:そうですね。いろんな作家の方だったり、カメラマンの方だったり、絵描きだったり、そんな方々でしたね

川田:へえ、なんか気になったのは、そこからね、ライブフェスに年間百本行くって、結構体力的にも大変だし、どっぷり浸からないといけないと思うんですよ。なんか、どういった魅力に今日本ミュージックフェスティバル協会会長になられるぐらい、どこに魅力を感じたんですか?

菊池:(笑)どこだったんですかね。ただ、いろんなライブに行くにつれて、いろんなアーティストがやっぱり見たくなってきたんですよね。で、知らず知らずのうちに、なんか呼ばれれば行くみたいな

川田:フットワークが軽くなって

菊池:そうですね

川田:今のフェスシーン、今フェスが多いじゃないですか。とはまた当時と言いますか。全然違ったんですか?

菊池:80年代前半の頃、僕がちょうど大学院を出てきた80年代前半頃って、まだフェスっていう名前はなくて、野外ロックコンサートっていう名前だったんですよね。で、当時僕は高校時代から日本人のバンドだったRCサクセションが好きで、RCがちょうどブレークした後でよくRCが、それこそ西武球場だったり、いろんなところで野外ロックコンサートのヘッドライナー(フェスなどにおいて、最も注目されるメインアーティストのこと)で出るようになったんですよ。で、それを追っかけていくうちにフェスらしきものというか、いろんな音楽を聴く、いろんなバンドを聴くっていうことにはまっていったような気が、今振り返るとしますね

川田:いつからその野外ロックコンサートはフェスになったんですかね

菊池:フェスって言い始めたのは多分90年代になってからだと思いますね。で、皆さんが使うよいうになったのは、やっぱり「フジロック」からだと思いますけど

川田:やっぱりフェスって、イメージが浸透して、カルチャーになったのは、そこなんですか?

菊池:はい

川田:フジロック」って、そのできた当時、やっぱり他とは一線を画してたんですか?

菊池:あの、まずキャンプで過ごすことができるというロックフェスって他になかったので、それは当時90年代中盤後半ぐらいに野外パーティーって言われるものがあったんですけど、それはちょっとアンダーグラウンドで。「レイブ」って言われてるダンスミュージックで夜通し踊るっていうのはあったんですけれども、ロックコンサート、ロックライブではなかったので

川田:テントを持ち込んでとか

菊池:それは手段としては日本では革新的でしたね。で、多分そのかつてのロックコンサートは西武球場であったり、横浜スタジアムであったり、神宮球場でもありましたけど、かすかな記憶では自由席じゃなかったんですよね。スタンディングじゃなかったんですよね。

川田:野外で

菊池:フロアがもうちゃんと椅子があったんですよ

川田:設営は大変ですね

菊池:大変だったんですよ。で、なので、あんまり自由さがなかったし

川田:本当だ。全然今のフェスとはイメージが違いますね

菊池:だからより今よりもやっぱりライブを見るっていうのが主だったんじゃないですかね。ロックコンサートっていうのは

川田:確かに今言われてみれば、今の現代のフェスっていろんな要素が盛り込まれてますよね。なんか都会を離れて、海風とか山の中の空気を感じたいっていう人もフェス行くし、アウトドアしたい人もアウトドアギアを買って行くし。なんでしょうね。なんか、はっちゃけたい人も行きますよね

菊池:行きますね

川田:自分を解放したい人とか、うんでもなんか当初はちゃんと椅子もあって、野外で見るコンサートっていう感じだったんですね

菊池:しかも、多分それほどいわゆるその山の中とか自然のところでやるっていうことでもなかったので。夜8時とかで終わってたんじゃないかなって思いますね

川田:健全ですね

菊池:で、夜、山中湖界隈でやったのを見に行ったたことがあるんですけど、それもバスで帰ってこれてたんで、8時ぐらいで終わってたんですね。で、野外で、例えばスキー場を会場にするようなのっていうのは、ジャズフェスはやってたんですけれども、まだね、20代の「菊池フェスのお兄さん」はね、まだジャズまでは行ってなかったですよね(笑)

川田:(笑)そっかへえ~。でもなんか今とちょっと空気感が違うのがすごくわかりました。でもなんかその時に、「これは!」と思ったフェスはあったんですか?

菊池:うーんとね、1番やっぱ最初に言ったそのRCをかけて行った仙台のロックンロールオリンピックってのは面白かったし、(ロックンロール)オリンピックがあったんですよ。仙台のね、あの菅生サーキット場というところであって。仙台なので、HOUND DOGが多分ヘッドライナーだったはずなんですけど、でも、RCのことしかあんま覚えてなくて(笑)

川田:やっぱ当時はそこにぎゅっと、やっぱり普通のライブ体験とは違う、「なんだこれは!」っていう

菊池:そうですね。その野外で聞くっていうことがなかったので、菅生サーキット場なので、やっぱり自然の中で太陽だったり風を感じながらライブっていうのは、すごい新鮮な体験でしたね

川田:へえ、で逆にそこから数十年たって今のフェスにも足を運ばれているんですよね

菊池:ねえ。やめられないっすね。(笑)

川田:すごいですね。素晴らしいです。今のフェスでやっぱり大きく変わったなって、うん。菊池さんが思われるところってあるんですか?

菊池:行ってる理由の一つというか、自分のモチベーションとしてあるのは、海外、アメリカのフェスなんですけれども

川田:聞きたい!

菊池:アメリカのフェスって、親子三代で楽しんでる方が結構いらっしゃるんですよ。おじいちゃんおばあちゃんと息子世代と子供

川田:あんまりないですよね。カップルで行くとかのイメージですよね

菊池:日本だと本当、その80年代はもちろん90年代も、やっと2000年、10年ぐらいになってから親子連れが来たかなっていう、

川田:そういうコンセプトの「OAU主催でやってます」とかね、子供も来ていいですよって、フェスだったらまだしも。あんまり三世代は聞かないです。

菊池:普通ににいるんですよ。で、あのコンサートってそもそもあんまり年寄りの方、年齢いった方って来てない印象があったので。特にロックとかね。だったので、まあ自分は好きだからいつまででも行きたいなと思うのと、フェスでも、「オレが一番年寄りまで行ってやろう」みたいな感じ(笑)

川田:覚悟が来ましたよね。今(笑)

菊池:ファンとしてね(笑) スタッフとして僕より年上の人っていっぱいいるんですけど、ファンとして楽しんでる姿を見せてやろうっていうと、ちょっとあれだな、大げさだな(笑)

川田:かっこいいですね

菊池:って思ってたんですよ

川田:アメリカで三世代で楽しんでる人たちを見た時に、「あのおじいちゃんおばあちゃん、かっけえな」って

菊池:そうそう

川田:それで今も行かれて。でもその当時80年代とかの音楽、ミュージック、音楽ライブ、野外ライブとか、その(ロックンロール)オリンピック、ミュージック・ジャンボリーとは結構変わってるんじゃないかなと思ったんですよ。音楽ジャンルも変わったじゃないですか

菊池:そうですね。変わってますね。多分今の方が本当に、こういう話って、こう思い出せなくて申し訳ないことも多いんですけど、今の方がいろんな要素が入ってきてるんですね。フェス…そのカルチャーとしての要素が。すごいいろんな要素があって、前はかつてはやっぱり音楽ライブを見るっていうことが主だったような気がするんですけれども、今もやっぱりライブは中心ではあるんですけど、それ以外の様子を楽しむってことがやっぱりフェスとしての、成立かなというふうに思っていて、そんなのが好きなんですね

川田:フェス飯っていうフェスのおいしいご飯があったりとか、ライブペインティングやってたりだとか、それこそキャンプがあったりとか

菊池:あとストリートミュージシャンもいたりとか。で、前は、まあさっきの前と区別ばっかりですけど、ステージが2つとかなかったんですよね。ステージ1個がほとんどだったので、結局見て、タイムチェンジ、その転換の時に休憩して戻って、だから多分同じ席だったんでしょうけど。今だと、もういろんな会場でいろんなことが同時に行われて、いろんな、ごっちゃに混ざってるので

川田:それが選んで、選びきれない楽しみとかありますもんね。「うわ~!オーシャンステージも行きて~!」とか言いながら

菊池:で、結局見たいけど、見れないものもあったり。その楽しさが今の方が、今のフェスの方があると思いますね

川田:なるほど、じゃあこの数十年でフェスっていうのは進化してきたんですね。ざっくり何年間なんですかね、フェスって。歴史は

菊池:フジロックから言ったら25年ですけど

川田:四半世紀

菊池:その前から言ったら、まあ日本でも、40年ぐらい「中須賀フォークジャンボリー」とか。僕行ってないですけどね。それが69年とか70年なんで。その頃から考えると50年近く

川田:へぇ~、ちょっとまさかの今日はその、「フェスおじさん」に教わるフェスの歴史っていう講義になったんですけど(笑)

菊池:(笑)すみません。こんな音聞-OTOGIKI-にはないような話で

川田:いやいやいや、ここからですよ。日本ミュージックフェスティバル協会の会長されてるっていう。それは作られたんですか?菊池さんが

菊池:メディアをやってて、編集者として、ライターとして、フェスをずっと応援するって気持ちでやってたんですね。で、僕もまたライターなんですけれども、音楽ライターではなくて。フェスの記事って、フェスの記事ではあるんだけれども、ライブ評ばっかりだったんですよね。今でも多分それが多いと思うんですけど、どのライブがどの人がこんなライブやったとか

川田:こんな曲やって、オーディエンスがこう盛り上がったとか

菊池:じゃなくて、僕はその、自分たちのメディア、自分のメディアで、こういうフェスの楽しさがあるんだよ。このフェスはこういう楽しさがあるんだっていう雰囲気を伝えてたんですよ

川田:へぇ、じゃあ結構こう木じゃなくて森を紹介してたという感じなんですね

菊池:で、それでフェスをそれぞれのフェスも応援したいし、フェス全体をもう応援したいという思いでやっていて、で、ふとまあ、友人たちと話してる時に、「NPOを作ってさらになんかこう応援するスタンスを作りましょうよ!」みたいな話になって設立したという感じなんですよ

川田:それが、この日本ミュージックフェスティバル協会なんですね

菊池:はい。なんかちょっと仰々しい名前であるんですけれど、あくまでこう応援する団体で、フェスを

川田:フェス文化を支えていく応援隊ということなんですね

菊池:フェスを作るとか、フェスを自分たちでやってるとか、フェスの主催者が参加しているっていうわけではなく、「カルチャー」だったり、「文化」だったりを応援すると

川田:あくまでフェスを楽しむ1人として応援してるんですね。で、この具体的な応援がですね、めちゃくちゃ面白いので、これはですね、菊池さん次回教えてください(笑)

菊池:わかりました(笑) 長くなってすみません(笑)

川田:とてもとても楽しかったです。なんか自分が行ってるフェスっていうのが、いろんな人たちが作ってきた本当に骨子にどんどん肉付けされてできた、本当になんか面白い完成形なんだな、今後どうなるんだろうというのは、ちょっと次回の質問で聞かせていただこうと思います

お話の途中ですが、次回もまたよろしくお願いいたします。この時間のゲストは日本ミュージックフェスティバル協会会長の菊地 崇さんでした。ありがとうございました

菊池:ありがとうございました


川田一輝がお届けしてきた「OTOGIKI LAB.」第4回、いかがだったでしょうか?

いや~、フェスの歴史っていうのがすごい興味深かったですね。

当たり前のように、フェスフェスっていって、もう何でも今フェスってつけてますもんね。お魚フェスとか、弁当フェスとか、肉フェスとかね。ありますけど、「元々をたどれば」っていう話はちょっと今後、いろんな音を楽しむのにね、必要な知るべき歴史だった気がします。

けど、最近暑いじゃないですか。こっから夏フェスとかどうなっていくんだろう。そこら辺を次回聞きたいと思います。ということで、第4回の研究は以上で終了です。来週もぜひお聞きください。「ABCラジオPodcast OTOGIKI LAB.」お相手は川田一輝でした。

音聞-OTOGIKI-

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